#02 冷酷な瞳

 木漏れ日が、僕の目蓋をこじ開けた。
「う……ううん……?」
 眩しい光に、再び目を細める。
 小鳥の囀り、新緑の枝葉、太陽の暖かさ。嗚呼、僕は生きている──。
「やっと、目を覚まされたのですね……」
 そこで僕がはっと覚醒したのは、その声が僕を助けてくれた命の恩人ではないか、という発想に辿り着いてからだった。
「いい加減、起きたらどうなんです?」
 そう言われ上半身を起こすと、待ちくたびれたような声で僕の耳を撫でた青年がいる。
 きっとここまで僕を運んだのは彼だ、そう確信した。彼がいなければ、疾うの昔に死んでいたのかもしれない。
「うぅ……いったた……」
 僕が青年の姿を見るためには、腰を捻って後ろを向くしかない。
 彼は質素な鎧を身に付けていた。僕は彼の白群の瞳に見とれていた。そのしっかりとした体躯からは、どこかの城の兵士のような雰囲気を漂わせていた。……長々と見ていたのだろう、彼は不思議そうな顔で僕を見ていた。
「あ、その、さっきはありがとう……ございます」
「何の事でしょう」
「さっき、僕を助けてくれましたよね?」
「さっき? ……あぁ、その事でしたか、お気になさらずに」
「……? 僕はどれくらいの間眠っていたんです?」
「大体一昼夜程……といった所でしょうか」
「あぁ……そうでしたか……」
 思えば、何故こんなことを彼に訪ねているのか、と僕は苦笑いを浮かべていた。
「そんな片言になさらなくても、普通に喋っていただければそれで良いのですが……ご主人様?」
 彼は僕に近寄り膝をつき、せせら笑いを浮かべながら確かにそう言った。
「え……?」
「ですから、|私《わたくし》の命を捧げると言っているのです。ご主人様」
「は……はぁ……」
「貴方に死なれては困ります。あぁそう、申し遅れました。私はレイセンと申します……さて、先を急ぎましょう、ここは危険です」
 話が進みすぎていて、頭の整理が追いつかない。
 彼は僕のことなど気にせず立ち上がると、何の説明もなしに先へ進んだ。
「あの……話についていけないのですが」
「ですから、それはやめてください」
「……はぃ」と、口から溜め息のように返事が漏れた。
 見渡すと、ここは僕が通り過ぎたはずの大広場だった。先程と違い、二人で歩いていることに安心感を抱いていた。
「えっと……レイセン君……?」
「なんでしょうか」
「あ、あー……えーっと……」
 そう言った瞬間に、聞きたいことが数珠のように連鎖を重ね、とうとう言葉を失ってしまった。
「ここは……どこ?」
「ここはソノラ樹林。その縹渺たる樹林は一歩獣道を外れるとこの世の終わりまで彷徨うことになると言われ、別名『迷い死ぬ者たちの森』……そう呼ばれております」
「あ……ありがとう」
 その殆どが僕の耳から通り過ぎてしまったが、ここがソノラ樹林だということは辛うじて理解した。気を取り直し、別の質問をする。
「あのさ……僕がご主人様って……どゆこと?」
「それはいずれわかります」
「そう……なんだ……」
 じゃあレイセン君はどこから来たの──と言いかけた途端に、彼はその場に崩れた。
 ゆっくりと時間が流れ、止まった。
 僕は気がつくとその場に佇立していた。急いで傍に駆け寄ると、その背には目に余る程の無数の傷。
 彼の上半身を起こすよう両手で支え、膝に乗せる。
 思えば一瞬の出来事だった。彼の瞳孔は開き、口から血を流し動かなくなった。彼は死んだように見え──。
「あ……うわああぁぁ……!!!!」

 ***

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。僕はいまだかつてないほどに焦っていた。
 落ち着けるどころではなかった。死体をどうこうしようなどと、考えたこともなかったのだから。
 僕があんなことを聞いたから?
 いや、でもまだ聞く途中だったし、全て言い終わるにも程遠い時間だったようにも思える。それなのに。
 気づけば僕は木に背を押さえつけ、彼を遠くから眺めて狼狽えていた。傷口は塞がる様子がなく、徐々に開いているようにも見えた。
「う……うぅ……ぇ」
 人が死んでしまった恐怖、もし僕があのままでいたら、彼のように血をやむことなく流し、死んでいたのかもしれないという恐怖。数え切れない程の恐怖が僕をよぎっていく。
 それはまるで、死神に見透かされているようだった。思わず嘔吐しそうになるが、必死に抑える。
────お願い、生き返って。こんな所で死なないで。
 心の中で、ただ願っただけ──だった。
「!!」
 刹那、斃れた青年の指が動いた。気のせいだと信じたいような、見間違いじゃないかと疑うような、ちぐはぐな感じが僕の喉元を行き違いにしている。
 背中の傷口は塞がっていた。今まで眠っていたかのように、彼は起き上がった。
「レイセン君……い、今死んだよね……? なのに、どうして…………」
 そんな僕の疑問に、耳を貸そうともしない青年。
 確かにレイセン君が死んだのを見たはずなのに、確かにレイセン君は今、生き返って呼吸をしている──。
──あり得ない。けれどこの地べたに飛び散った血と、その血の持ち主であるレイセン君が、瞬きをして僕を見ているという現実が突き刺さる。
 銀髪の青年は、血泡の色に汚れてしまった鎧を、まるで何事もなかったかのように見て、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「『死んで生き返った事』が気になりますか? ……そうですね、じきに夜が来ます。したがって、ここで無闇に説明をするのは危険です……先程のように襲撃されては、私が貴方を助けた意味がない」
「う……うん……」
 もし、今ここで、彼が本当に死んでいたら。そう思えば思うほど、生き返ってくれて本当に良かったと安堵する。
 ある意味、僕にとっては都合のいい仕組みだったのかも知れない。
「なので、場所を変えましょう。この先に街があるのです」
 貴方には、いつか必ずきちんとご説明致します。と強調され、僕は頷いた。本当は今すぐにでも知りたい所だけれど、何故かこの人の言うことには説得力があって、言い返す言葉も見つからない。
「そういえば、先程何か言いかけませんでしたか?」
 その『先程』が、どれのことか戸惑ったが、レイセン君が死ぬ直前の質問だろう。
 僕はそれを聞いたが故にレイセン君が死んだのではないかと畏怖し、もう二度とこの事は聞かないようにと自分に言い聞かせたのだった。
「……いや、何でもないよ」
 死んだ人が生き返る──。
 そんなことが平然と起こりうる世界で目を覚ましてしまったことに、僕は今更ながら恐れ慄いた。

 ***

「おわー……すご……」
「クス、ご主人様、口が開きっぱなしですよ。それを世間ではみっともない、と言うのです」
「あっ……ごめん」
 森を抜けた先は街だった。無限回廊のような道、左には家や店が淡々と並び、右には海。夜の黒く光る波は街灯の明りと融合しているかの様だ。
「あ……あれ?」
 この美しい光景に浸っていると、「人影」が僕とレイセンを横切っていく。これも充分不思議な光景であるはずなのに、僕の目にはこれが当たり前のように見えていた。散々不思議なものを見すぎたせいだろう。
一本道をただひたすら歩いても、見える景色に変化は全くなかった。
「ここは?」
「この街はマーファ街灯です。太陽が昇ることはなく、いつまでも夜が続いています。……マーファ街灯のモールは全部で九番までありますね、五マイルほどです」
 レイセン君が片手を腰にあてる。
「は。……僕たち、まだ二番モールに着いたばかりだよね……?」
「心配いりませんよ、五番モールに宿がありますから」
「うぅ……にしても、遠いよぉ……」

 ***

「あ」
 歩き続けて約数十分。僕の視界に、お菓子が入り込んだ。それも沢山の、棒付きキャンディー専門の店が。
 僕はその店に駆け寄る。その時はキャンディーの事しか頭になかったけれど、レイセン君は顔だけ伏せていた。笑いをこらえていたのだろう。羞恥を覚えたのはずっと後の事だった。
「あ……アメ……」
「如何なされました? ……あぁ、食べたいのですか」
「え……あぁ、うん。でも|キル《お金》持ってないや……ヘヘ」
 僕は手をぶらぶらとさせ、キルが無いことを示す。
「はぁ……。すみません、ここの飴を全部頂きます」
「畏まりました」
 何やら大量のキルとキャンディーを交換しているように見えた。
「……え!? 流石にそこまでは……」
「有難うございます……。これで宜しかったでしょうか?」
 レイセン君が僕にくれたのは、それはもう大量の、一日では食べきれないほどのキャンディーの数々だった。
 この青年とは彼方こちらの店を歩き回ったが、こんなに嬉しいことは初めてだ。
「レイセン君、ありがとう!!」

 ***

「あぁぁ……やっと見えた」
 間もなく宿屋の目前に到着する。明らかにこれは重労働だ。とっておこうと腕に抱えていたキャンディーが、より一層重く感じる。
「中に入りましょう、冷えてきましたからね」
「……うん」
 そのとき、何かが僕の横を通り過ぎていった。
 人影ではない、姿形のある──人。
「ひ、人だ! 人だよレイセン君!!」
「はい?」
 レイセン君の腕を、半ば無理矢理掴んで追いかける。
 人影に紛れ見失いそうになっていた僕を哀れんだのか、レイセン君が先頭に立ち、僕を引っ張って歩く形になった。必死に追いかけ辿り着いた先は──。
 「バ……バー・オブ・レスト……?」
 扉を恐る恐る開け、僅かながら室内を覗けば、中はまさに酒場という言葉が相応しい賑わいぶりだった。
 ただ僕の歩行を邪魔するだけの奴だと思っていた人影が、ここでは祭りのように集まり、騒いでいるのを見た時は甚だしく不思議な気分になった。酒やらビールやら、人影はそれらを囲み、大いに食していた。
 ごちゃごちゃと賑わう人影の中に、僕たちが追いかけていた人を見つける。
「……いた」
 店員と話していたようなので、そっと声を掛けたつもりだったのだが──。
「マスター、ミルクティーをっ……おわぁ!? 誰だお前!」
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