#0 プロローグ

 叢雲が広がる空を見るのは、きっとこれが最後だろう。
 断崖絶壁にしゃがみ込んで、僕はそこから動けずにいた。
 懐中時計は、もう随分と前に時を止め、時刻を示す役割を放棄した。
 体中が痛い。もうこれ以上は動けない。動きたくない。体にこびりついた血の臭いが、恐怖となって僕の脳裏に焼き付く。
 世界に死を振りまく災厄を、僕一人でどうやって倒せというのだろう。無理だ、できない──。
 諦めたいという本音を振り払った途端に、意識が朦朧とする。先程から、立ち上がろうと剣の柄を強く握って踏ん張っているのに、足は震えるばかりで動こうとしない。
 それでも──諦めるわけにはいかない。無残に殺された子どもたちの為にも、無意味に死んでいったこの世界の人々の為にも。
 僕の前で無邪気に微笑んでくれた子どもたちに、僕が分け与えた幸せが嘘だったなんて言いたくはない。
 僕は一度堕ちた身だ。だから解る。傍観者のままではいられないと。
 神が、僕に再びチャンスを与えてくれたのだ。無下にするつもりは欠片もない。
──さあ、立て。空を覆う、終焉の闇に向かってもう一度飛べ。
 僕がどうなろうと構うものか。子どもたちに別れの言葉も告げられなかった僕に、残されたものなど何一つないのだから。
 失うものは、全て失った。今更何を怖がる?
 仇討ちに失敗した時に備えて、手筈は整えてある。本当は使いたくなかったのだが。
 結局の所、僕は他力に頼らなければ生きることもままならない。
 プライドというものが、僕を酷く傷つけた。胸が締め付けられる。
 けれど、全てが終われば、何もかもが無意味になるのだろう。
 蓄えておいた宝石や魔石は、これまでの戦いで全体の約七割を使い果たしてしまった。
 僕には才能がない──。だから僕は、あまりある奴の才能を超える可能性があるものに、必死にすがりつくしかなかった。
 もっと、子どもたちの頭を撫でてやればよかったと思う。僕は背が低いから、しゃがんでもらわなければ届かない子もいるけれど。
 そして絵本を読み聞かせて──。ああ、みんなで食卓を囲むのもいいな。それから、みんなが大きくなったら、色恋沙汰の相談にも乗ってやりたい。僕に恋愛経験はないのだが──。
 空想の話は、もうやめにしよう。
 人は、怒りや憎しみが心の内に留められないと血の涙を流すというが、どうやらそれは本当みたいだ。手で目尻を拭うと、鮮血のような赤色の液体で濡れた。
 体が、心が、悲鳴を上げていたとしても、僕はそれを無視し続けよう。
 この憎しみは、僕の全てを奪った悪辣な概念を消し去るまで、収まることはない。
 叫べ、かつての友の名を。目で射殺さんとするまでに、悪め。
 そして、僕の名を刻みつけて、奴にこの憎悪を忘れさせはしない。
 最後に、僕はお前を嘲笑ってみせる。
 僕が、この手で絞め殺してやる。
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